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札幌高等裁判所 昭和47年(う)341号 判決 1973年9月20日

被告人 沼田哲夫

主文

原判決を破棄する。

被告人を禁錮八月に処する。

本裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

理由

本件控訴の趣意は、札幌高等検察庁検察官大津丞提出の控訴趣意書に記載されたとおりであるから、ここにこれを引用し、これに対しつぎのように判断する。

所論は、概要つぎのように主張する。

すなわち、関係証拠によれば、(一)被告人は、司法警察員作成の実況見分調書添付見取図①点(以下において、符号は断わらないかぎり同図面のそれによる。)にさしかかつた際、右前方の対向車線上点に現われた被害者を発見し、ただちに急制動をかけ、被害者との衝突をへて、③点で自車を停止させているが、右の①点と③点との間の距離は約三八・九メートルであり、これが被告人車の実際の停止距離である。(二)被告人車は右急制動時まで毎時約五五キロメートルで走行し、かつ、被害者は点の右方約四メートルの路外点付近から被告人車の前方道路を右方より左方に横断しようとしていたことからすると、被害者が点付近から横断を開始しようとした際の被告人車の位置は、計算上、衝突地点より約六〇メートル以上手前であつた。(三)そこで、被告人が衝突地点の約六〇メートル手前の地点から同じく約三八・九メートル手前の地点まで走行する間において、点付近から点に向う被害者を発見しえたか否かが問題となるが、当時の現場の見通し状況からすれば、被告人にはこれが十分に可能であつた。(四)にもかかわらず被告人が本件衝突を避けえない①点にいたつてようやく被害者を発見したことの原因は、精神の緊張を欠き、前方左右の注視を怠つたことにある。

以上の事実が認められる。したがつて、本件事故が被告人の前方注視義務違反により発生したことは明らかである。よつて、右の過失の証明がないとして被告人を無罪とした原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認がある、というのである。

そこで、一件記録を精査し、当審事実調の結果を加えて審案するに、本件における争点は被告人の過失の存否のみであつて、これは結局被告人が自車の停止距離外で被害者を発見しえたか否かにかかるので、以下この点の判断に必要な限度で事実関係を検討する。

関係証拠を総合すれば、被害者古川芳子は、上杉利明運転のタクシーに乗車して、被告人車進路の反対方向から、本件道路をへだてて自宅向い側にあるいわき市立錦公民館前の空地まで来て、後部左側ドアから下車し、右タクシーの後をまわり、点のわずか北寄りの地点(以下において、便宜点付近という。)からやや右ななめ前方の自宅に向つて小走りに本件道路の横断にかかつたものであること、被告人は、本件衝突地点より約二八・一メートル手前の①点付近を走行中、対向車線上の点付近に現れた被害者を発見し、急制動の措置をとつたが及ばず、自車を被害者に衝突させたこと、点は衝突地点まで約三・八メートル、点付近から約四メートルの距離にあるうえ、被害者が点付近を過ぎる前後でその走る速さに変化があつたとすべき証跡はないので、被害者が点付近に姿を現わしたとき、被告人車は所論のとおり衝突地点の約六〇メートル手前にいたとみてよいことなどが肯認できる。(原判決は、被告人の発見時における被害者の位置が点付近であるとは認定できず、また、被害者が本件道路を横断し始めたとき、被告人車がすでに被害者との衝突を避けえないほど間近かに接近していたとの疑いが残るとしているが、いずれも根拠に乏しく支持することができない。)

右によれば、被告人車が本件衝突地点の手前約六〇メートルの路上を通過した時点以降、被害者は点付近にいたか、同所から点付近に向いつつあつたといえるところ、被告人車の停止距離が約三八・九メートルであつたことは、所論も説くように動かしがたい事実なので、本件事故当時被告人が右停止距離外の地点において現実に被害者を発見しえたか否かを問題とすべきである。

本件事故当時は小雨の降る暗夜で、周囲の人家はすでに消灯しており、街灯等によるわずかな明かりがあつたものの、本件事故現場を通過する車両の運転者らは、主として自車および他の通行車両の前照灯の照射で前方を確認しなければならない状態にあつたことがほぼ明らかである。

これを前提にして、まず、被告人車の後続車を運転していた小俣隆正の原審証人尋問における供述および司法警察員のした実況見分における指示説明について検討する。原判決は、右の小俣の証言等が原審の検証結果等に照して措信できないとするが、小俣車の前方には被告人車が先行していて、被告人車の前照灯による照射があつたこと、本件事故直後事故現場でおこなわれた右実況見分に際し、関係者が小俣の指示説明に疑問を抱いたふしがないこと、小俣が被告人の同僚であつて、ことさら被告人に不利益な供述等をする理由に乏しいことなどに徴すると、右の小俣の証言等については、そのうちに原判決指摘のような信じがたい部分が含まれてはいるにしても、同人が本件衝突地点の手前約八四・一メートルの地点において、前記錦公民館前にタクシーが停車中であり、その付近にいた被害者が小走りに本件道路の横断にかかるのを認めたという、基本的な部分の信憑性まで否定し去ることはできない。

しかし、そうであるからといつて、被告人が小俣の右現認地点を通過した以後においては、被害者が点付近に姿を現わしさえすれば、被告人は被害者を発見できたと即断するわけにはいかない。原審および当審の各検証調書によれば、小俣車の前照灯の照射は同人の右現認時被害者らのもとまでほとんど達していなかつたとうかがわれるので、小俣は、自車前照灯によるのではなく、おもに被告人車の前照灯の明かりで被害者らを認めたと考えられるからである。すなわち、右の小俣の証言等を基礎にして被告人による被害者の発見可能地点を確定するためには、さらに小俣の右現認時における被告人車の走行地点を解明しなければならないが、小俣の証言によつては、被告人車と小俣車との車間距離が約四、五十メートル程度であつたと認められるにとどまるので、被告人車の右走行地点が衝突地点から被告人車の停止距離以上手前であつたか否かは不明に帰する。

したがつて、被告人車前照灯の照射距離等のいかんによつて考え直す余地がないわけではないが、この点の立証も十分でなく、結局、右の小俣の証言等は問題解決の決め手とはなりえない。

つぎに、被告人の司法警察員および検察官に対する各供述調書がある。これらによれば、本件事故当時被告人の前方注視に弛緩があつて、被告人が被害者を現に発見した地点にさしかかる以前に被害者を発見しえたことは、認めることができるが、その程度にとどまり、右検察官調書にあるように、被告人が約一〇〇メートル先まで見通せたとはとうてい信じがたく、右各供述調書は被告人車からの前記見通し状況に関する確証となるものではない。また、本件事故直後における見通しの状況を示すものとして、司法警察員数沢照雄作成の実況見分調書および同人に対する原審、当審の各証人尋問調書があるけれども、同人のした見通し状況の見分が厳密におこなわれたかどうかに疑問が残り、これらをただちに採用することはちゆうちよされる。

本件のような、微妙な条件が重なり合つている案件において、見通し距離の点に関し事故当時とまつたく同一の条件を設定して実験を試みることは不可能であり、原審および当審の各検証もその例にもれないが、右の各検証の結果は、それぞれその状況下におけるものとして考えれば、相応の証拠価値をもつものである。そして、右の各検証調書によれば、被告人車の進路上に実験車を停止させてその運転席から本件事故現場付近を見通したとき、前記点ないし点付近の人物を人の姿として視認できるのは、本件衝突地点から約五〇メートルまでの間であると認められる。しかし、すでに述べたように、右の結果はそのまま本件事故にあてはめることができず、さらに、本件事故当時においては、各検証時と異なり、天候が小雨模様であつて、前照灯の照射距離の短縮、路面の反射等によつて視界がより悪化していたこと、各検証時の見通しは静止状態下でえられたものであるのに対し、被告人の場合には、毎時約五五キロメートルで走行する車内にあつたため、その視力が静止時よりも減退していたことなどを考慮しなければならない。

右の検証結果にどの程度の修正を加えるべきかは困難な問題であるが、右のような条件の相異に留意し、且つできる限り被告人に有利に判断するとして、被告人は、少なくとも本件衝突地点より三十数メートルの地点に迫つた時点では、被害者の存在を十分に見通しえたと解するのを相当とする。したがつて、被告人が本件衝突地点より約三八・九メートル以上手前の地点で被害者を発見しえたものと断定するには、なお合理的な疑を容れる余地がある。

してみれば、他に右の見通しの点について、訴因の事実を立証する適確な証拠はないので、原判決が本件公訴事実中被告人の過失についてその証明がないとしたのは、結局正当であつて、誤認のかどは存しない。論旨は理由がない。

しかしながら、職権をもつて案ずるに、被告人は、前記のとおり、本件衝突地点の手前約二八・一メートルの地点で被害者を現実に発見し、急制動をほどこし、スリツプしながら進行中の自車を被害者に衝突させたものであるところ、本件道路の指定制限速度は毎時四〇キロメートルであるのに、右の被害者発見時における被告人車の時速は約五五キロメートルであり、もしも被告人が右速度制限にしたがつて自車を走行させていたならば、所論指摘のとおり、制動距離は二〇メートル余と認められるから、被害者との衝突にいたらないで自車を停止させえたことは、明白である。したがつて、起訴状記載の過失の訴因の証明がないとしても、右の事実関係にもとずいて訴因を変更すれば、ただちに有罪の判断をなしうることが裁判所としても十分予測できたといわなければならない。のみならず、すでにした検討でもわかるように、原審で取り調べた証拠中には起訴状記載の右訴因にそうものがあるので、検察官が自発的に訴因の変更を求めなかつたことを一概に責めるわけにもいかない。しかるに、原審の公判手続をみると、右訴因の変更について検察官に対しこれを行なうか否かを釈明し、あるいはこれを行なうことを促すなどの配慮をした形跡は、まつたくうかがわれない。これは、事実審の職責たる訴因に関する釈明権の行使を怠り、審理不尽の違法を犯したものといわざるをえず、右訴訟手続の法令違反は判決に影響を及ぼすことが明らかである。原判決はこの点において破棄を免れない。

よつて、刑事訴訟法三九七条一項、三七九条により原判決を破棄するが、本件については、当審にいたつて予備的訴因の追加がおこなわれ、前記のとおり本位的訴因の証明はないので、右予備的訴因にもとづき、同法四〇〇条但書にしたがつて、さらにつぎのように自判する。

(罪となるべき事実)

被告人は、自動車運転の業務に従事するものであるが、昭和四六年五月二四日午後一一時五五分頃、大型貨物自動車を運転し、福島県いわき市錦町大島一五四番地付近の国道六号線を茨城県方面からいわき市平方面に、進行するにあたり、指定制限速度毎時四〇キロメートルを遵守すべきはもとより、自車の前照灯の照射能力に応じて減速し、前方左右を注視しつつ進路の安全を確認して進行すべき業務上の注意義務があるのに、交通の閑散なのに気を許して前方注視を欠いたまま毎時約五五キロメートルで漫然進行し、進路前方を右方から左方に小走りで横断中の古川芳子(当時五一歳)を右ななめ前方約二五メートルにせまつてようやく発見した過失により、急制動の措置をとつたが及ばず、同人を自車前部に衝突させて、転倒させ同人に対し頸髄損傷等の傷害を負わせ、よつて、翌二五日午前零時一〇分同市植田町本町一丁目一一番地の一櫛田病院において、同人を死亡するにいたらしめたものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人の判示所為は、刑法二一一条前段、昭和四七年法律第六一号による改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号(刑法六条、一〇条による新旧比照。)に該当するので、所定刑中禁錮刑を選択し、その所定刑期範囲内で被告人を禁錮八月に処し、諸般の情状を考慮して、刑法二五条一項を適用して、この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、原審および当審における訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項但書によりその全部を被告人に負担させないこととする。

以上の理由によつて、主文のとおり判決する。

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